佐藤芳嗣法律事務所

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シニアの相続1  ー財産は誰のものー

シニアにとっての相続

考えてみれば、人間はいつかは死ぬわけです。しかし、多くの場合、自分が何時死ぬかシニア本人も周囲の人も知り得ません。多くの人にとって死は漠然とした将来のことです。したがって、多くの人は日々の生活に追われ、自分が死んだ後のことを考えながら日々を過ごすことはしておりません。しかし、若者と違ってシニアにとって死はそう遠い未来のことではありません。長い間生きてきたシニアにとって、死によって確実にかつ瞬時に発生する相続問題は身近な法律問題なのです。私は、自分の死後のことも良く考え、家族はもちろん周囲の人々が自分が死んでも困らないよう可能な範囲で準備しておくことが賢明な生き方だと思うのです。
そこで、今回から数回にわたって、シニアにとって身近な法律問題である相続についてお話しします。今回は死ぬ前の財産のことを相続問題を意識しながら考えます。

財産の帰属

最初に財産は誰のものか考えます。日本国憲法13条には、「全て国民は、個人として尊重される。」と書かれています。憲法24条には、「相続や家族に関する法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。」と書かれています。これらの日本国憲法の規定からして、第二次世界大戦前の「家制度」は明らかに否定されました。憲法は、全ての個人が人間として最大限尊重される「個人主義」の価値観に立脚していることが明らかなのです。この個人主義の下では、家族が生活の基盤とする家や田畑その他の財産の権利は全て家族を構成する特定の個人に帰属します。特定の個人を離れた「家族共通の資産」は法的には存在しないのです。このような個人の権利を基調とする法制度(個人主義と私有財産の保障)は、戦前の家制度がもたらした男女間、兄弟間の不平等をなくし、個人を家の束縛や全体主義の非人間性から解放しました。このような観点からみると、戦後日本国憲法と共に行われた家制度の解体と全体主義の否定は、農地解放と共に民主的な改革だったのです。
しかしながら、この個人主義の下での所有制度も決して万能ではないのです。この制度の下では、権利が帰属する個人は、合理的理由があるかないかを一切問わず、所有する財産を生きている限り自由に処分できるのです。妻や子が生活の基盤としている自宅でさえ、法的には家族の同意を必要とせず自由に処分できるのです。このような制度の下で生活する現代人には、家制度の下でとは違った意味で、様々な悲劇が起こり得るのです。
私は、戦前の家制度を復活せよと主張するつもりは毛頭ありませんし、全体主義の非人間性は容認できません。私は、個人が自己固有の財産を所有する権利は、個人の尊厳を維持するために断固守らなければならないと考えている者のひとりです。それにもかかわらず、私は、行き過ぎた私有財産制や個人主義にも欠陥がないわけではないと感じているのです。
弁護士として仕事する中で日頃目にする財産に関係する事例をとりあげ、財産は誰のものか、どのように扱ったらよいかを最初に考えます。今回は、相続が発生する前の段階で、将来相続に重大な影響を及ぼす財産問題を考えます。

浪費するシニア

夫がギャンブルや女性に狂いその財産を限りなく浪費する場合があります。分別をわきまえているはずのシニアの浪費は、今も昔も後を絶ちません。若いときには働き者で真面目一方の人や定年まで一所懸命働いてきた人が、定年を機にギャンブルに狂い、あるいは怪しげな女性(男性もあり得ます)の罠にかかり、それまで蓄えた多額の財産を費消する場合がしばしばあります。最近は外国人女性を追って財産を持って海外に行ってしまう人さえいます。この場合でも、夫婦とも収入があり、あるいは生活に困らない程度にそれぞれが固有の財産を所有し、双方が経済的に自立している場合は問題がありません。しかし、専業主婦の場合、農家や中小企業の跡取りと結婚した女性の場合、妻がおらず子供達だけが残されている場合などでは大きな問題となります。浪費する夫や父親の存在(女性の場合もあり得ますが)が、家族の生活基盤を根底から崩壊させかねないのです。
弁護士は、「家族を省みないで浪費を続ける夫(あるいは妻。以下同じ)を何とかして欲しい。」という相談を受けることがあります。離婚を決意できる妻(あるいは夫)の場合には、離婚を前提に財産分与や慰謝料の支払いを求め、夫が財産を費消する前に夫名義の財産を保全する方法があります。しかし、先祖伝来の農地を守りたい、家業を守りたい、離婚はしたくないという女性(男性)も多くおります。離婚を決意しない限り離婚を前提とするこの方法は採れません。また、妻がおらず子供だけの場合もあります。この場合、浪費する親の財産を法的に保全する手段を捜すことはなかなか困難ですが、この場合でも、浪費者が高齢者で痴呆・認知症に陥っている場合ならば、成年後見の制度を利用することが考えられます。成年後見の制度の詳細は別の機会にご説明しますが、成年後見の制度には財産の処分権を制限する機能があるのです。しかし、浪費する夫の多くは、法的には判断能力があることが多く、成年後見の制度は利用できないことが多いのです。その場合は、浪費する夫を誰かが説得するしか家族の生活の基盤となっている財産を守る方法がないのが実情です。したがって、「俺の財産は俺のもの。煮て喰おうが焼いて喰おうが俺の勝手だ。」と居直っている人を誰が説得できるかが極めて重要です。周囲に、この人の言うことならば当人も耳を傾けるであろうと思われる人がいたならば、その人に説得を頼むのがよいでしょう。そのような人がいない場合、夫婦関係あるいは親子関係調整の調停を家庭裁判所に申し立てることが考えられます。しかし、財産を持って逃げてしまう浪費者にはこの手が使えませんし、調停には強制力がありません。弁護士にとって、現行法の下では、浪費する夫(あるいは妻)の浪費を止めさせたいという相談は本当にやっかいな問題なのです。

お金に執着するシニア

弁護士の仕事をしていると、自分では使い切れないほどのお金を残す人々が時々いることに気付きます。それも死ぬまで質素な生活をし、周囲が全く気づかない間に多額の遺産を残す人が少なからずいます。ある人が亡くなったところ箪笥預金が何千万円もあったという事例もあり驚かされます。財産を浪費するよりはよっぽどよいとは思います。それに、多くの人には所有欲があり、物を所有しようとする人間の欲望は、人間にとって生来的に備わっている欲望のようにも思われます。ですからこのような金銭欲に駆られた生き方も理解できないわけではありません。
しかし、言うまでもなく、人間はいつかは死ぬわけです。これは厳然たる事実であり誰もが避けて通ることができません。自分も何時かは死ぬというまことに単純な現実を忘れ、まるであの世にお金や財産を持って行けるかのように、死の直前までお金に執着し、貯め続ける人生とはいったいその人にとってどのような意味があるのだろうと思わずにいられないことがあります。私などは、人間生きてる間に有効活用しておけばよかったのに、ご自分で有り余るお金を使用しもっと人生を楽しんでおけば良かったのにと思うのです。私自身、弁護士として相続問題も扱い、生活の糧を得ていることを忘れ、「なまじ財産を残したばかりに、醜い相続争いを子孫にもたらした人の人生とは一体何だったんだろう?」と考えさせられることがあります。

シニアと財産

人生の半ばをとうに過ぎたシニアは、所有する財産をどのように考えたらよいのでしょうか?私有財産制と個人主義の下では、自己所有の財産は自由に処分できることになっています。しかし、長年生き、様々な経験をされてきた賢明なシニアの皆さんは、法的にはともかく、また、名義はともかく、所有する財産は必ずしも自分だけで自由に使用し処分できるとは考えていないでしょう。実際には、自宅を処分する必要があるときは妻や子どもの意見を聞いていると思うのです。また、わずかなへそくりならばともかく、妻や子に隠れて多額のお金を貯め込んでもさして意味がないことにも気付いておられるでしょう。相続の場面では全ての財産は個人に帰属するとしても、自己名義の財産の中には、個人の立場を離れた意味を持っている財産があることに賢明なるシニアは気付いているはずです。
個人に帰属するとされる財産も個人の利益を超えてある種の公共性があり得るのです。